2ntブログ

記事一覧

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Sの話1

今回は30才前後のサラリーマン時代に
大阪で会っていろいろ世話になったSさんの話を書こうと思う。
このシリーズではAから順番に名前を振っているので、本当はMとなるところだけれどSの人にМは可笑しいので仮にSとつけることにした(笑)。

Sさんは当時5才ほど年上だったので40才直前だったと思う。背の高さは普通だったが、小太りで、精力的に生き生きと動く人だった。
バーを経営していて、ゲイバーではないと言っていたけれど、なぜか、知っている限り、お客のほとんどがゲイだった。どちらを本職といっていいの分からないが、日本舞踊の師範で自宅のある郊外都市と大阪に稽古場をもって教えていた。その当時はゲイで踊りのお師匠っさんという人が多くいておねえ言葉で話す人をよく見かけたが、このSさんはSということもあってか言動はあまり女性的ではなかった。
この人のおかげでいろいろのSの知人もできたし、SМのいろいろなシーンを見ることができ、自己流で想像するよりも視野がぐっと広がっていい経験をさせてもらった(笑)。
このSさんがМは自分の奴隷の一人だけれど他のベテランのSが
緊縛してするのを一緒に見学させてくれるということで後に雑誌「さぶ」の連載で有名になったМ氏がSМで使っている蔵へ大阪環状線の駅で落ち合って、連れて行ってもらったことがあった。М氏は意外なほど穏やかな中年の方で、SさんのМに向かって、すぐに全裸になるようにいって縛り始めた。縛りながら綿ロープと麻縄の違いを説明してくれたりして親切だった。Sさんは自分の奴隷に言葉責めをしながら助手を務めていた。М氏の縛りはさすがに手早く亀甲縛りをわずかの時間で仕上げた。すぐに何枚か写真を撮影するという動きが大変スムーズで真横で見学(?)させてもらって、人間の生身の身体と縄の作り上げるオブジェの美しさを再発見させられて、アーティスティックというか、まるで芸術家の仕事を見ているようだった。しかし後年、雑誌の紙上で感じたような妖しいエロティックさはなかった。
真剣に縄を勉強するようになったのはこれがきっかけの一つだった。
このSさんの知り合いに同じく日本舞踊でショウステージもこなす
それなりにその道で名の売れたSがいた。この人とは誘われるまま、
複数プレイと言うか一緒にМを調教したこともあったが、この人は露出癖というか少し変わったところがあって、プレイ中にМを縛りあげて楽しんだ後、次に縄を解くと首輪をつけさせ二人とも全裸で奉仕プレイへと入りだしたとき、そのままで、Sさんの店の電話にかけてきて、お客さんの中にSがいないか聞く。他に一般のお客さんがいるときは、Sさんは断るが、誰もいないと適当に相手をして、こちらへ話をするように振ってくる。突然わたされて戸惑いながら電話に出ると、打ち合わせなしで、
「こんばは!今調教中なんで話してくれる?」
と言ってМの耳元へ受話器をあてて、Мに命令している声が聞こえる。
「今何をしているのか、大きい声で言ってみろ!」
「ご主人様のチンポにご奉仕しています・・」
驚きながらも、こちらもその気になって
「一生懸命しているのか?そんな恥ずかしい格好で奉仕ながら、
真っ裸でマラを勃しているんだろ?ヘンタイ!」
「ハイ、ご主人様にチンポを足で踏みつけられて、足の指で扱かれています!」
後ろから聞こえてくる声が
「お前の年は?」
「ハイ,40・・・43才です。恥ずかしいです!」
と絶叫しているが、
こちらはいつ他のお客さんが入ってくるかわからないので、
適当なところで終わりにする必要があった。

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

bossy63

Author:bossy63
ボッシーという名前でSМ男児に体験談を書いています。
かなりの数になったので最初の頃のは読みにくく成っています。
それでこのブログをはじめることにしました。
ほとんど実際に体験した話です。